障害者施設殺傷事件から透けて見える介護士の職場環境の問題

元職場であった障害者施設で19名の命を奪ってしまった26歳の男性。
「障害者なんていなくなればいい」という言葉には引っかかるものがあるが、恐らく裏を返して「健常者だけになればいい」となるわけではないのはなんとなく想像がつくと同時に、コミュニケーション不安が懸念される人材も含め、何かしらの問題があり何処にも行けない人材にとっての最後の受け口として、介護施設が相応に機能していることを悟る事ができた。
 
介護士の賃金の実態は知る限り、正規雇用者のヒエラルキーの中では限りなく最下層に近いと言っても過言ではないはずだ。
 
1日の労働時間は13時間〜18時間とも言われ、夜勤もありながら深夜手当て、残業代やボーナスはほぼ無し。
これは老人介護も障害者介護も同様だが、障害者介護の場合、10年前の障害者自立支援法の施行で身体障害、知的障害精神障害の区分が撤廃されたことにより、より介護士の判断に臨機応変さが求められるようになった。各施設には自立支援法以前の名残として殆どの施設が特定の区分の障害者を多く受け持っているという特色があるというが、それでも自立支援法施行から年数が経過したこともあり、事実として幅が求められている。
しかしながら、介護士の月給は平均19〜22万円(安ければ15万円、16万円という施設も多く、特に女性介護士は男性介護士に比べ賃金が下がる傾向にある)と、上記に示した激務にも関わらず全国の産業における平均賃金と比較しても非常に少ないのが現状。ちなみに国内で最も賃金の伸びがある保険業との平均年収の差は約300万円と倍以上にも及ぶ。
にも関わらず、物価上昇や給与水準の低下などで一種、貧困と同程度の環境が出来上がっている。
職場環境に相応しい、あるいはそれ以上のストレスが生じる可能性は言う間でもない。
容疑者のTwitterアカウントとされるアカウントを見ると、理由は定かではないが彼も在職中に副業をしていたらしき様子が伺えたので、やはり相応に賃金も含め環境としては酷だったのであろうと推察する。
 
なぜ、これ程までに介護士の給与が低いのか。これには介護保険から捻出される介護報酬が関係する。
 
介護報酬は国が定める金額として、上限が設定されている。
施設介護は介護報酬の6割〜7割、訪問介護は9割を人件費に充てることができるものの、サービス内容と介護報酬はいわゆる「要介護度」に応じて設定されているため、非常にシステマイズされた報酬制度の枠組みの中では賃金を上げることが困難だ。
賃金を上げるため、他の有料サービスと一緒にした「混合介護」の提唱もあるが、あくまで提唱であり、実行できるかどうか、実際に賃金のアップに直結するかどうかとは別問題である。
また、要介護者一人における介護職員の派遣上限は3名までと設定されているが、生産性の向上という視点から考えると2人、あるいは1人で行うことが圧倒的に多いという。
低賃金故のコストの最大化を目論んでのことであろう。
 
コスト最大化の為にはミスの削減が一番手っ取り早い策ではあるが、その現場環境や離職率の高さから人が育たず、ミスを根底から是正することが難しいために「介護は割に合わない仕事」としてレッテルを貼られていることは否定できない。
そう考察したのは、下記の記事
しかしながらその離職率の高さから慢性的な人員不足によってある種、介護という職そのものがセーフティーネットのような存在になりつつあり、職安でも「紹介してもらえた先が介護しかない」という人材が散見される。
よって、とりあえず誰にでも間口が開けた業種となっており、それ故に何か社会適応能力などに不安がある人材も一定数流れてゆくように出来てしまっているのではなかろうか。そう考えれば近年問題視される風俗業を副業とする若者や女性の貧困のトピックとも重ねて見ずには居られない問題となる。
風俗以上に介護の問題には将来的な危機の大きさがある。
2025年には団塊世代後期高齢者となることにより要介護者の人口は急増することが懸念されている。
 
今回の事件の対象は障害者ではあったものの、対老人相手の介護であってもこの事件は起こりうるものだと思う。且つ、この規模の殺人事件は過去にあった秋葉原通り魔事件や大阪の池田小学校で起こった集団殺傷事件などと被害者の数を比べることができない。
今回の事件を機に、少なからず介護職への救済策、ひいては向こう数十年を見据えた社会保障政策が見直されることを期待してならなかった。